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哀川翔

Vシネマの帝王、哀川翔さんの情報です
哀川翔

哀川翔さんの気になる噂

哀川翔さんの演技や、出演作品のレビュー

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哀川翔さんの基本情報



哀川翔さんの気になる噂

ゼブラーマン、哀川翔の夫婦喧嘩で自宅が崩壊?(2010年)
哀川翔の夫婦喧嘩がハンパなく凄まじ過ぎる(2010年)


哀川翔さんの演技や、出演作品のレビュー

映画「ゼブラーマン」のレビュー
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基本情報(wikipediaより抜粋)

哀川 翔(あいかわ しょう、1961年5月24日 – )は、日本の俳優、タレント、歌手。

人物

身長 178cm
趣味は釣り、ゴルフ、昆虫採集(カブトムシ)。
血液型はAB型。

来歴

徳島県徳島市生まれ。海上自衛隊の航空幹部だった父親の転勤に伴い山口県岩国市、栃木県宇都宮市、千葉県館山市を転々。哀川が5歳の時、父親が訓練中に事故死。当時母親は臨月だったため、代わりに哀川が父親の亡骸と対面、遺体を確認したという。この後、母の実家・鹿児島県鹿屋市に転居しその後は鹿屋市で育った。鹿屋市立鹿屋小学校、鹿屋市立第一鹿屋中学校、鹿児島県立高山高等学校、東京工学院専門学校卒業。なお本籍地は生まれて今日までずっと祖父が住んでいた東京都に置いているという。
専門学校在学中、雑誌『ポップティーン』の創刊時にアルバイトのライターとして飛鳥新社に出入りするようになる。
路上パフォーマンス集団「劇男一世風靡」に所属し、『前略、道の上より』で「一世風靡セピア」メンバーとしてレコードデビュー。1986年には『青の情景』でソロデビューを果たす。
1988年、同郷の先輩である長渕剛から出演依頼を直々に受けたテレビドラマ『とんぼ』(TBS)でのチンピラ芝居が好評を博す。1990年にはその存在感と演技力を高橋伴明に見込まれ、Vシネマ『ネオ・チンピラ・鉄砲玉ぴゅ~』、映画『獅子王たちの夏』の主役に抜擢される。
1995年には「あいかわ翔」名義で監督デビュー。助演男優として『棒の哀しみ』や『うなぎ』といった話題作での好演も評価され、テレビドラマやテレビコマーシャルへの出演機会が増え始める。2004年に出演した映画『ゼブラーマン』で主演作品100本の快挙を成し遂げる。
竹内力とともに「Vシネマの帝王」と呼ばれる。
翌2005年の日本アカデミー賞で優秀主演男優賞を受賞。近年は内村光良との共演をきっかけにバラエティ番組にも出演。
2010年6月4日(ムシの日)に孫が誕生した。

エピソード

芸名の由来は、本人は「Show Lonely River」というシャレから付けたと公言している。
映画監督の黒沢清、三池崇史と親交が深い。
運動神経も良かったことから高校3年の時に体操界の名門日本体育大学への推薦の話があり承諾したが、その話を薦めた教師が願書の提出を忘れてしまった。自身もオリンピックに出場し、その後は体育教師になるのも悪くはないと思っていた。
1年のうち、300日は現場で撮影をしているという生活リズムから、朝が早いことが多い。朝日の昇る前から起き(本人いわく太陽との真剣勝負)、家族が目を覚ます前に散歩をし、開店直後のゴルフ練習場に向かうという。夕方には既に眠くなり、20時か21時には床に入るという。以前、木村一八らと飲酒中に二度も倒れたことがあり、心肺停止状態になるなど生死の境をさまよった経験があることから、それ以降健康的な生活を送るようになったとテレビ番組内で語っている。
妻(元女優・青地公美)とは六本木のカラオケ屋「弐壱」にて武蔵丸の昇進パーティーに参加した際に出会った。青地はその日、矢沢永吉の妻とパーティーに来ていた[1]。哀川は青地に一目惚れし声を掛けたが、当時真っ白なスーツと黒いサングラスという格好だったため、誰なのか分からず怖くなった青地は、その場を去って別の店に行ったという。哀川は、「まだ、そんな遠くに行ってないはずだから探せ!」と後輩や仲間に声を掛けて、六本木近辺を探させた。そして、別の店にいた青地を見つけ「帰るんなら帰るって言えよ、バカヤロー!」と言ったとのこと。その出会いをきっかけに同棲をすぐ始めたという。青地は離婚歴があり子連れだったため、結婚した途端に3人の子供の父親となった。大変子育てに厳しく、「うちは家族じゃないんだ。族だから」と語る通り、約束した時間に遅れるなどすると容赦なく鉄拳制裁。子供達に課した三原則「嘘をつかない、人の物を取らない、人を傷つけない」を破ると「半殺し」だと言う。そして「家は溜まり場であり、心地良くしなくてはいけない」と教える。その反面、大変子煩悩の一面もあると言われる。
高校卒業後、上京してからは、前述の通り一世風靡の路上公演、雑誌記者としての取材、ほぼ毎日ディスコに入り浸っていたなどハードな生活だったが、籍を置いていた専門学校は2年間皆勤で卒業した。哀川は「一度決めたことはやらなきゃいけないし、学校に行くのだって親に金出してもらってタダじゃないんだから」と語っている。
柳葉敏郎のことを(ジョニー)と呼ぶ。2003年、『ウンナンの気分は上々』で哀川が勝俣州和と内村への復讐をするため柳葉を呼び寄せている。『とんぼ』で俳優デビューする際、先に俳優として活動していた柳葉に相談にのってもらったことを『メントレG』で語っている。またテレビ番組内では、柳葉と共に勝俣や中野英雄といった一世風靡時代の後輩を子分のように扱っている。
芸能界では腕相撲が非常に強い事で有名だと、上記にある『ウンナンの気分は上々』内において明かされた。事実同番組内において、内村光良・ゴルゴ松本・有田哲平・勝俣州和の4人を相手に圧倒的な大差をつけて勝利した。しかし後に『にじいろジーン』内で山口智充に負け、その時は「もう一回やろう」と食い下がり、もう1戦したが連敗した。
ぐるぐるナインティナインのクワガタムシ・カブトムシ採集の企画でゲスト出演の際、子供のようにはしゃいで採集していた。哀川は趣味だと言っている。『天才!志村どうぶつ園』にゲスト出演した際には「家でカブトムシを40匹くらい、クワガタムシを30匹くらい飼っている」と発言している。
車好きで、映画『SS エスエス』出演の際、三菱・スタリオン4WDラリーを見た時「鳥肌が立った」とコメント(後に、ラリージャパン2007開会式に映画宣伝を兼ねゲスト出演)。またラリー出場ドキュメント撮影のため、国際C級ライセンス(レース除外)を取得、映画『SS』に登場したフォード・フィエスタSTでラリージャパン2008にプライベータ応募で出走。DAY2でリタイアしたものの、スーパーラリー規定によりペナルティ加算を受け復帰し、その後は走り切った。同じくドキュメント撮影[3]の為、2009年の第87回パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに出場、細かく競技・車種・排気量がクラス分けされている事で知られる同大会の「オープンクラス(市販車改造クラス)」にて5位(全7台。2台リタイヤ)。この時はコ・ドライバーに、ドライビングコーチ役のプロラリードライバー、奴田原文雄が急遽搭乗する事になった。
小笠原和彦(元極真会館)が覆面レスラーのゼブラーマンに扮してハッスルに登場した際、応援するため会場に現れた。
哀川のマネをする、ものまねタレントの哀小出翔(あいこでしょう)の事を認めており、この芸名も哀川が映画で共演した際に命名した。また、有吉弘行がするモノマネも認めている。